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日本には干支という文化がありますよね。

毎年毎年その年の干支=動物が巡ってくるのですが、ちょうど平成が終わり新しい年号が始まる2019年は亥年。十二支の最後の年になりました。実は、日本全国には干支にちなんだ神社やお寺が沢山あります。初詣は過ぎてしまいましたが、縁起担ぎにその年の干支にちなんだ神社やお寺に行く人もおられるのではないでしょうか?特に、いのしし年は猪突猛進のご利益があるとか。

私が住む関西にも干支にちなんだ神社やお寺があります。そこで、今回は、京都にある2019年の亥年にちなんだ神社とお寺をご紹介したいと思います!

京都、丸太町にある護王神社

京都、丸太町にある護王神社は、猪にまつわる神社として知られた神社ですが、どうしてどうして、猪にまつわる立派なエピソードがあります。別名はいのしし神社。護王神社のご祭神は、和気清麻呂とその姉の和気広虫で、この主祭神の和気清麻呂公は、いのししに助けられた伝説があるのです。                    (CC: Go-oh shirine)

護王神社の云われ
その昔、奈良時代の称徳天皇(女天皇)の御代のこと、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧が法王となって絶大な権力を振るっていました。天皇からの寵愛をいいことに、道鏡は天皇の位も奪おうと一計を案じました。「『道鏡を天皇にすれば天下は平和に治まる』と宇佐八幡よりご神託(神様のお告げ)があった」と天皇にウソをついたのです。

天皇は道鏡を重用していたとはいえ、真偽を確かめようと和気清麻呂(奈良・平安時代の貴族)を呼び出して、九州の宇佐神宮まで赴いて確かめてくるように命じたのです。清麻呂公が宇佐八幡でご神前に出て、「真意をお教えください」と叫んだところ、光り輝く宇佐の大神が現れ、「天皇の後継者には必ず皇族のものを立てなさい。道鏡のような無道の者は早く追放してしまいなさい」とご神託を下されました。

( CC : mariemon)

清麻呂公は都へ戻り、大神のご神託を天皇に報告しました。しかし、野望をくじかれた道鏡は激しく怒り、清麻呂公の足の腱を切った上、大隅国(鹿児島県)への流罪(るざい)にしてしまいました。さらに、大隅国へ向かう清麻呂公を襲わせるために刺客を放ちました。足の腱を切られ、立つことすらできなくなった清麻呂公ですが、皇室を守った大神に感謝するため、宇佐八幡へ立ち寄ることにしました。

そして、一行が豊前国(福岡県東部)に至ると、どこからか三百頭ものいのししが現れました。いのししたちは清麻呂公の輿(こし=乗り物)の周りを囲み、道鏡の刺客たちから守りながら、十里(約40km)の道のりを案内してくれたのです。清麻呂公が宇佐八幡での参拝を終えると、いのししたちはどこかへ去っていきました。不思議なことに、清麻呂公の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていました。

一年後、称徳天皇の崩御(ほうぎょ=亡くなること)により、道鏡は関東へ左遷(させん)されました。そして、都へ呼び戻された清麻呂公は、時の天皇の信頼を得て活躍し晩年まで世のため人のために尽くしたとのことです。清麻呂公の立派な人柄と、彼を守ったいのししのエピソードは後世まで語り継がれることとなりました。清麻呂公を祀る護王神社には、狛犬の代わりに狛イノシシが建てられ、今も清麻呂公を護り続けています。

狛猪にイノシシの手水舎
護王神社は狛犬の代わりに狛いのししが神社の前に鎮座して、今も清麻呂公をしっかりと護っています。手水舎のいのししですね!境内には様々ないのししのモチーフのものを集めたいのししコレクションコーナーもあります。

   (CC: S.Takashi)

押越の神様でもあるイノシシのおまもり
もう一つ、護王神社のイノシシは「足腰のご利益がある神様」として有名です。これは、清麻呂公が道教事件で大隅国(今の鹿児島県)へ流されるときに足萎えで立つこともできなかったのが、いのししの御守護によって立つことができるようになったという不思議な故事にちなんだもの。それ以降、足腰の守護神と仰がれているのです。

足腰のお守り 1,000円       健脚のお守り  700円       腰のお守り  1,000円

(境内図)

護王神社ホームページ

交通のご案内
・電車・バスでお越しの方
地下鉄烏丸線 – 丸太町駅下車 北へ徒歩7分
市バス51系統 – 烏丸下長者町停下車すぐ

・お車でお越しの方
烏丸丸太町交差点より北へ3つ目の信号手前左側

建仁寺派 禅居庵

神社だけではなく、いのししにちなんだお寺もあります。こちらは京都、祇園の中あり、アクセスも大変良い場所にあります。もともとは有名な建仁寺の塔頭の一つ、禅居庵というお寺です。

禅居庵の云われ
禅居庵の開祖は大鑑清拙正澄禅師(だいかんせいせつしょうちょう)(1274~1339)というは中国福建省福州の生まれの僧でした。この方は日本に来られたときに、小さな自作の摩利支天像を持ちこみました。それゆえに、禅居庵では本尊とは別に摩利支天(まりしてん)が秘仏扱いで祀られています。禅居庵の摩利支天像は日本三大摩利支天の一つとして有名です。

摩利支天ってどんな神様?
では、摩利支天とはどのような神様なのでしょうか?禅居庵は禅宗寺院(臨済宗)であり、禅宗寺院では一般的に境内に鎮守(その土地や寺・氏などを鎮護する神)を祀っています。鎮守として、毘沙門天、弁財天、大黒天など天部と呼ばれる神々が祀られていますが、摩利支天も古代インドのバラモン教の神々が仏教に取り入れられ、仏教の守護神、護法神となったものの一つです。

禅宗寺院では境内に、本堂の本尊とは別に鎮守を祀ります。
毘沙門天、弁財天、大黒天など、天部と言われるこれらの他にも、陀枳尼天(稲荷)や、天神さんなどを祀る寺院もあります。天災地変・火災盗難などから境内・諸堂を護り、仏法益々の興隆を願うのです。天部とは古代インドのバラモン教の神々が仏教に取り入れられ、仏教の守護神、護法神となったものを総称したもので、摩利支天もその一つです。

摩利支天の語源はサンスクリット語で、陽炎を意味するMarici(マリーチ)の音を漢字に写したもの。またそのルーツは威光、陽炎が神格化した古代インドの女神マーリーチで創造神プラフマー(梵天)の子と言われています。陽炎には実体が無いので、捕らえられて傷つけられることが無い。害されることが無いところから戦国武将の間にこの摩利支天信仰が広がりました。楠木正成や前田利家は兜の中に摩利支天の小像を入れて出陣したと言われています。他にも山本勘介や「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助が信仰していたことでも有名です。

では、どうして禅居庵ではこんなに数多くのイノシシが登場するのでしょうか?摩利支天は三面六臂の憤怒相で一面は菩薩の相、もう一面は童女の相をしており、六臂にはそれぞれ弓・箭・針・線・鉤・羅索・金剛杵などの武器を持っています。針や線は害するものの口と目を縫い合わせ害を加えないようにするためです。そして、多くの摩利支天像は、猪車に乗った姿で描かれていることが多いのです。それが摩利支天のお姿とイノシシのいわれなのです。

                                               CC:  PHGCOM                                 境内には多くのイノシシが溢れています!手水舎もイノシシ。 

おみくじも沢山のミニいのししが飾られていてとっても可愛らしいです。ぜひ、このイノシシおみくじを引いてみて下さいね。私は “小吉” を引きました。おみくじだけでなく、こんなに可愛い絵馬もあります。私は亥年生まれの妹のために買いました。

 

       禅居庵 授与品                                                                                                   交通案内                                           電車でお越しの方                                       ・京阪電鉄 京阪本線「祇園四条駅」より 徒歩 約7分                       ・阪急電鉄 阪急京都線「河原町駅」より 徒歩 約10分

バスでお越しの方                                              JR京都駅中央口からお越しの場合                                          ・「清水道」に停留する市バス 86・100洛バス・106・110・206・臨(楽洛東山ライン)系統      ・市バス「清水道」停留所より 徒歩 約10分                           ・「東山安井」に停留する市バス 86・206・臨(楽洛東山ライン)系統                ・市バス「東山安井」停留所より 徒歩 約7分

まとめ

今回は今年の干支にまつわる神社として、京都の護王神社と禅居庵をご紹介しました。どちらの神社もイノシシが境内に溢れて大変インパクトのある、勢いの感じられる神社とお寺です。また、猪にちなんだおみくじやお守り、絵馬も頂けるので、今年一年イノシシが見守ってくれることは間違いナシ!亥年の人はもちろん、亥年でない人も、今年のご利益を頂くためにもぜひ、干支にちなんだ神社やお寺にお参りに行こうではありませんか!