Pocket

昨今のパワースポットブームのお蔭で、外国人観光客も含め多くの人が

寺社仏閣を訪れる今日この頃。その一等有名な観光場所は何といっても

京都ですが、奈良にも魅力的な場所が沢山あります。奈良の場合は京都ほど

混んでおらず、JR奈良駅、近鉄奈良駅からアクセスのよい場所に訪れるべき

スポットがコンパクトにまとまっています。特に、近鉄奈良駅から

徒歩10分以内の付近には東大寺、法隆寺、春日大社など多くの有名な

素晴らしい寺社仏閣が立ち並んでいます。どの寺社仏閣もそれぞれに

特や趣があり素晴らしいのですが、今回は中でも建物、仏像共にピカ一の

興福寺を取り上げてみたいと思います。

1.興福寺の成り立ち

歴史の教科書にも名前が出てくる有名な興福寺、その成り立ちをさっとご紹介

しますね。

興福寺の歴史は、大化改新(645)で功を成した藤原鎌足の夫人鏡女王

(かがみのおおきみ)が、天智8年(669)に山城国に建立した山階寺

(やましなでら)に始まります。飛鳥~平安時代に振るった藤原氏の氏寺。

平常遷都に合わせて現在の場所に移転、興福寺と改名されました。

奈良時代から平安時代にかけて、興福寺は藤原氏の庇護を受けて繁栄し、

南都(奈良)を支配する大寺院となりました。最盛期の敷地は今の10倍以上

あったそうです。

” 興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。平安時代には春日社の実権をもち、大和国一国の荘園のほとんどを領して事実上の同国の国主となった。その勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と称された。寺の周辺には塔頭と称する多くの付属寺院が建てられ、最盛期には百か院以上を数え、中でも天禄元年(970年)定昭の創立した一乗院と寛治元年(1087年)隆禅の創立した大乗院は皇族・摂関家の子弟が入寺する門跡寺院として栄えた。”  出典:Wikipedia

つまりは、とても広大な力を持っていた寺社だと言えます。

2.五重塔

興福寺の素晴らしい点は、建築物、仏像の両方ので多くの見どころに溢れ

ているところです。まず、一番人目を引くのが五重塔でしょう。

興福寺五重塔は、光明皇后の発願により、天平2年(730年)に

創建されました。塔の高さは50.8メートル。創建以来5度も火災に遭い、

現存の塔は室町時代に再建されたものです(本瓦葺の三間五重塔婆)。

また、明治時代には政府の廃仏毀釈により、興福寺の伽藍(僧侶などの

住む建築物)が取り壊され、五重塔も存亡の危機に立たされました。

現存する日本の木造塔としては、東寺五重塔に次いで高い塔です。

 (興福寺 五重塔)

3.南円堂(なんえんどう)

五重塔から西へ進むと南円堂があります。創建は9世紀、ここは

西国三十三所観音霊場の第9番札所で、参拝客で賑わい香煙の絶えることが

ありません。南円堂は藤原冬嗣が父の追加供養のために建てたものです。

藤原一族の中でも特に力を反映した北家の一堂のため、興福寺の

堂宇の中でも特別に尊重されました。南円堂の特徴はその屋根の形です。

直径15cmの一重本瓦葺き、頂きには宝珠が施されており、現在は5代目。

江戸中期に再建ながら、古い様式を採用し、さすがに八角堂としては

日本最大級の存在感を放っています。本尊は不空覇索観世音菩薩

(康慶作)。南円堂の隣には、納経所と願いを一つ叶えてくれる

一言観音堂があります。

(興福寺 南円堂)

3.三重塔

南円堂から猿沢池に向かうと右手に小さな三重塔があります。ここは

うっかりすると見過ごしがちですが、これも立派な国宝建築物。

1143年に崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮の願いで建立されました。

1180年に火災に遭いましたが、すぐに再建されています。

興福寺に現存している建物の中では、北円堂と並んで最古のもので、

内部には弁財天像や十五童子像が安置されています。

http://kankodori.net/japaneseculture/treasure/048/index.html

(興福寺・三重塔)

4.北円堂

南円堂の北側には北円堂が建っています。北円堂は、721年に

藤原不比等(ふじわらふひと)の一周忌を記念して元明上皇・

元正天皇が建立しました。建立の指揮を取ったのは、長屋王

(ながやのおおきみ)と伝えられています。現在の建物は1210年ごろに

再建されたもので、鎌倉時代に作られたものながら、奈良時代の建築物の

特徴をよく捉えています。本尊は薬師如来像と四天王像。

こちらも国宝指定されており、伽藍内部は春と秋に公開されます。

(興福寺 北円堂)

5.東金堂

東金堂は726年、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を願って

建立した建物です。その後、被災と再建を繰り返し、現在の建物は

1415年に再建されたもの。また、1187年には東金堂に安置する

薬師如来像を興福寺の僧兵が飛鳥にある山田寺から強奪してきたという

記録も残っています。本尊は薬師三尊を中心に国宝仏像を多数安置。

http://www.kohfukuji.com/about/construction/hokuendo.html

(興福寺 東金堂)

6.国宝館

国宝館はもともとは僧侶が集団で食事をする食堂(じきどう)が

建てられていた場所に、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造りの

耐火式宝物収蔵庫として新しく生まれ変わったものです。食堂と

細殿(ほそどの)を連結して内部を一堂とした建物で、数多い仏像や

寺宝を収蔵し、一般公開するための利便生を考慮して設計されました。

鉄筋コンクリート造りですが、外観は奈良時代の寺院建築を模した

ものとなっています。本来の食堂の本尊であった千手観音像

(5.2メートル)が中央に安置され、その他多くの寺宝が展示されて

います。2010年3月にリニューアルオープンされ、以前より展示数が

増えたこと、文化財に与える悪影響の少ないLED照明が導入された

ことにより、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになりました。

http://www.kohfukuji.com/about/construction/kokuhokan.html

(興福寺 国宝館)

まとめ

興福寺の素晴らしいところは、それぞれの建築物が国宝指定されている

一級のものであること以外に、中に祀られている本尊である仏像も

歴史のある大変素晴らしいものが安置されていることです。これらの

建物以外にも国宝館という多数の仏像が祀られている建物がありますが、

仏像の数も多いので、これはまた別の機会にご紹介したいと思います。

現在の興福寺は奈良公園内に位置していて、自然の中に溶け込み様々な

角度から建物を見ることができます。散策も兼ねながら、興福寺を

お参りしてみるのはいかがでしょうか?

興福寺アクセス:http://www.kohfukuji.com/access/info.html