パワースポットがとても流行っている昨今ですが、気軽に行ける場所と
そうでない場所ってありますよね?自分の住んでいるところから多少離れて
いても、電車や飛行機で、旅行がてら気軽に行ける所ならいいのだけれど…
でもそんな場所ばかりではありません。
でも、すぐには行けないところにこそ、パサースポットがありそうな気が
しませんか?実は、福岡県の宗像大社はまさしく!そんな神秘に包まれた
神社です。2017年にはユネスコの世界遺産にも選ばれました。
神社自体も神秘に包まれているのですが、じつはこの一時荒れ果てていた宗像
大社を復興させた、故郷愛に満ちた偉人も存在するのです。
この話題性たっぷりの宗像大社を、今回はご紹介したいと思います。
宗像大社ってどんな神社?成り立ちと歴史
宗像大社という福岡市から北へ40キロ(車で約1時間)のところにある神社です。
この神社は3つの宮で構成されています。
宗像は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる
窓口として、重要な位置にありました。 日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」
には、天照大神のお言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつり
されるようになったことが記されています。
九州本土にある「辺津宮(へつみや・へつぐう)」
大島にある「中津宮(なかつみや・なかつぐう)」
沖ノ島にある「沖津宮(おきつみや・おきつぐう」
※大島にある沖津宮遙拝所(ようはいしょ)も、世界遺産に登録されています。
「宗像大社」は、一般的には辺津宮を指すことも多いものの、正確にはお宮が
以下の3か所に分かれています。
九州本土にある「辺津宮(へつみや・へつぐう)」
大島にある「中津宮(なかつみや・なかつぐう)」
沖ノ島にある「沖津宮(おきつみや・おきつぐう」
※大島にある沖津宮遙拝所(ようはいしょ)も、世界遺産に登録されています。
ご祭神は?
宗像大社のご祭神は、宗像三女神と呼ばれる姉妹神です。
◆ 宗像三女神
長女神:田心姫神(たごりひめのかみ)
次女神:湍津姫神(たぎつひめのかみ)
三女神:市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
三宮では、田心姫神が沖津宮に、湍津姫神は中津宮に、そして市杵島姫神は
辺津宮にお祀りされています。
宗像大社の三宮は、辺津宮から中津宮までは約11km、中津宮のある大島の
「沖津宮遙拝所」から沖津宮までは、約49kmの距離があります。
中津宮は大島にあるので、ここへはJR東郷北口から西鉄バスで「神湊波止場」
まで行き、そこからは旅客船「しおかぜ」またはフェリー「おおしま」で大島港へ
渡航して、中津宮まで徒歩10分。
沖津宮のある沖ノ島は今でも女人禁制であり、一般人は入島を許されず、普段は
神職一人しか入ることができません。以前は年に一度抽選で選ばれた男子が200人
島に上陸が許されていたのですが、2017年に世界遺産登録されたことにより、
それもできなくなりました。大島にある沖津宮遥拝所からは天気のいい日だと
沖ノ島が見えるようなので、それが参拝の代用となりますね。
(CC: sk01 辺津宮 本殿)
(CC: sk0 中津宮)
(CC: Indiana jo 沖津宮)
(CC: (CC: sk0 沖津宮遥拝所)
沖津宮のある沖ノ島へは渡れないし、時間が足りなくて大島へも行けない
という人のために、九州本土の辺津宮でこの二宮も一緒にお参りすることが
できます。
境内にある第二宮(ていにぐう)に沖津宮の田心姫神を、第三宮(ていさんぐう)
に中津宮の湍津姫神がお祀りされているので、こちらをお参りすれば三宮へ
参拝したことになります。
また、境内には宗像三神が降臨したとされる、高宮祭場もあります。実は、
ここが宗像大社で一番のパワースポットだと言われています。
(出典:宗像大社ホームーページ 辺津宮神域)
実は、宗像大社を蘇らせたのは、海賊と呼ばれた男だった?!
九州本土から大島、沖ノ島へと壮大な距離に及ぶ宗像三宮ですが、一時は
とても荒廃していました。そして、荒廃から宗像大社を救ったのは、出光興産の祖、出光佐三(いでみつさぞう)だったのです。
佐三は明治18年に福岡県宗像郡赤間村(現宗像市)で生まれました。神戸で大学に
進み、門司や東京で事業を展開するものの、幼いころから信仰し続ける宗像大社
への愛情はゆるぎないものでした。出光興産の東京本社にも宗像大社が祀られて
いたほどです。
昭和12年に宗像大社を参拝した佐三は、その荒廃ぶりに大層心を痛めました。
そして、昭和17年に宗像神社復興期成会の結成を呼びかけ、自ら初代会長に
就任し、私財数十億円を投じて神社再建に尽くしました。昭和46年まで30年
かかったそうです。
佐三はこの神社再建に対し、政府関係者から再建の前にまず、神社の歴史を編纂
すべきだと提言を受けました。物事には順序ありき、というものです。
そこで、佐三は、まず「宗像神社史」の編纂に着手しました。昭和29年には初め
て沖ノ島で学術調査を実施。この調査によって、4~9世紀の大量の祭祀遺物が
発見され、沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれ、一躍脚光を浴びたのです。島から
出土した宝器や祭器は約8万点にも及び、現在では国宝にも指定されています。
この佐三の地道な調査のおかげで、宗像大社は、2017年7月に「『神宿る島』
宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の1つとして、ユネスコ世界遺産に
登録されたのです。この調査がなければ、きっと選ばれていなかったでしょう。
しかしながら、事業でも、宗像大社に対してもこのような偉業を成し遂げた
出光佐三の名前は宗像大社にその形跡もありません。本人が畏れ多いとかたくなに
拒否したとこのこと。立派な人柄に加えてその謙虚さはとても魅力的だと
思います。
まとめ
出光佐三の調査によって、約8万点もの銅鏡、武器、工具、装身具、馬具などが
発見され、宗像大社ではこれらの貴重な国宝を閲覧できる神宝館という建物が
建てられています。装身具類は大変美しく、またなぜ そのような本土から
離れた場所で大量の出土品が見つかったのかは謎ですね。
しかし、その謎ゆえに沖ノ島を含め宗像大社の神秘性は強まっていくのだと
思います。
(出典:宗像大社 神宝館)
宗像大社はそれこそ滅多に行けないパワースポットですが、だからこそ、
行ってみると素晴らしいご利益がいただけるかもしれません。経済人も
必死になって守った交通の守り神、宗像大社をぜひ、訪れてみませんか?